粟原山誓立寺は往古圓明院と号し、甲斐国巨摩郡原田庄に在り開基は武田信光の三男 幼名竹千代丸で人皇八十八代高倉院の御宇、承安四年甲午(1174)出家す。のち、弘安年中(弘安元年は1278年)芸州佐東郡金山の麓、西原に一宇を造営して粟原山尾喰寺と号す。(「安芸武田氏」誌103頁※1)この時、時宗にて永正二年(1505年)浄土真宗に帰し清立坊と号す。慶長年中(慶長元年は1596年)現在の中区立町に移り元和九年発亥(1623年)六月廿四日清立坊を改、粟原山
誓立寺と号す。ご本尊阿彌陀如来、御長二尺五寸なり(寺社什物調査報告36集42頁※2)昭和二十年八月六日の原爆により、全焼壌滅した(ご本尊は疎開にて無事)立町誓立寺は因縁ありて昭和二十三年現在地
に移転し原爆によりわずかに原形を止めた旧本堂を誓立寺が単独巨費を投じて復旧し古江誓立寺として新発足する。この間昭和五十五年旧本堂修理、庫裡新築の慶讃法要を厳修す。平成3年の台風19号にて破損した旧本堂の復旧を断念しついに新本堂建立が総代会、門信徒会にて決議され平成六年四月本堂建立が開始されるや門信徒各位の尊いご懇念結集し、同年十一月三十日遂に新本堂建立され其の后内陣お仏具等の調達を得て今日に至る。
現在の誓立寺の地は、深信講の説教場であった。文化5年(1808年)為広家代18代半兵衛氏が碩学(宗学者)雲幢(うんどう)師を招請されて、(幻華庵)を私費を投じて建立され、以来雲幢師の高徳は遠近に流布し、師事する師弟は百有名に及んだ。その後幻華庵を(幻華社)と改称、幻与館ともいった。明治6年6月6日古田小学校の起源ともなった。明治35年(説教場)に改称、昭和17年(教会)に改名され現在の誓立寺になる。
沿革
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